明日死んだら後悔しますか?

明日死んだら後悔しますか?

明日自分が死んだら後悔が残りますか?

明日大切に思う人が死んだら後悔しますか?

私には直近で解決したいことがあります。小学生の息子の登校のことです。

先に言っておきたいのですが、登校拒否がだめ、何が何でも学校に行くべきだとは思っていません。学び方は自由だし、フリースクールだっていいと思っています。子供が辛いならケアして解決策を模索したほうがいいと思っています。

我が息子の場合は、

・学校に行っちゃえば全然平気
・帰ってきたときもまったく元気

なんなら、6年生を送る会などには積極的に参加するタイプです。「6ねんせいのみなさん!」とか一人の子が大きな声でいうやつです。歌も好きだし、運動も好きだし、勉強はやる気がないのでイマイチだけど、学校生活は問題なさそうです。学校の先生の言葉を信じるなら。

ということで、私も仕事してますし、行ってほしいんですよね。

でも、行かない。現状は、車で連れて行っています。

時間通りに準備もできないし、する気もなさそう。

でも、休日には早起きできるんです。5時半とかに。

なので、身体的なことではなくて、気持ちの問題だと思うんです。本人もそう言ってるんです。わかってるならやってくれ、という感じなんですが。

自分が死んだら後悔するか?

日々の息子への対応を振り返って、やり残したこと、もっとこうやってあげればよかったかなと少し思いますが、後悔というほどではないです。

息子への対応は、いろいろ考えた結果、私の問題だという結論に至っています。今のところ。

息子がどうこうよりも、ああしたかった、こうしたかったという自分がやり残したことへの後悔はあります。

息子が死んだら後悔するか?

これは、後悔します。絶対に後悔する。言い切れます。

  もっと優しく声をかけてあげればよかった

  あのくらい待ってあげてもよかった

  もっと話を聞いてあげればよかった

  やりたいことを応援できていただろうか

  たくさん大好きだよって伝えればよかった

想像しても悲しくなります。ちゃんと好きなんです。だけど、いざ息子を前にするとできないことばかり指摘してしまいます。もっと早く起きて、もっと早く準備して、もっともっともっともっと・・・・要求してばっかりです。

上記で挙げた後悔の思いは今すぐ思いついたものばかりで、今足りていないと私が感じていることなんだと思います。なので、息子に要求するのではなくて、「私が」何をしたいのか、何ができるのかということを考えるようにしたいです。

わかっちゃいるけどむずかしい

「息子への対応は私の問題」と書きましたが、こういうことなんです。

子供への対応方法、声掛け方法の知識はもっているつもりです。子供に寄り添ってあげるというのが大切だし、決して人格を否定するようなことはしてはいけないということもわかっています。頭では。

それが私には難しくて。

息子が死んだら後悔することで、ぱっと思いついたことを意識して行動したらいいんです。

言葉で書くととても簡単に思います。だって、私がそうしたいからするんですもん。私が後悔したくないからするんですもん、とても自分勝手な理由ですよ。

難しくないでしょ。

・・・いやぁ~、んーーーーーー

やっぱり相手があることなんでね。すべて「お母さんが悪い」と言ってくる息子に「そっか、そうなんだね」とは言えないです。私も自己肯定感低いんで、子供の言っていることだと割り切ることができません。まともに食らったらダメージが大きすぎて負のループに入りかねない。ここも私の問題なんです。息子は関係ないんですよね。

例えば。

例えばですよ。

今日は12月6日。あと2週間ちょっとで2学期が終わります。

2学期が息子の寿命だとしたら私はどう対応する?定刻を過ぎているにもかかわらず、ゆっくり準備をする息子に対してなんて声をかける?怒り狂う息子に対してどう接する?

毎朝、車で登校するのも貴重な時間だと思える?

やることいっぱいの朝の忙しい時間に楽しそうに話を始める息子を見て、そうかそうかと向き合って話を聞いてあげられる?

何に対してもお母さんが悪い!と言う息子の言葉を、私はどういう気持ちで聞くんだろう?

どうにかこうにか学校に連れて行った日も、元気に帰ってくる息子に笑顔でおかえりと言えるだろうか。

息子の場合、本当に平日の朝だけなんです。それ以外は全然問題なさそうなんです。

私がもっと違う声かけができれば、息子の出方も変わってくるかもしれません。私が、できれば。

こういう思考はちょっと危険です。わかってます。

何度も心がつぶれそうになりました。いや、ちょっとつぶれてました。私がいないほうがいいんじゃないか?もう疲れた、何もやりたくない。できない私が悪いんだ。気を抜くとすぐにそういう風に考えてしまいます。息子にいなくなってほしいと思ったこともあります。っていうかしょっちゅう思っています。

たぶん、それが私の思考の癖というか性格というか性質というか、そういうのなんだと思います。

だから必死で、そうならないようにしています。

「もし息子が死んだら?」なんてことまで考えて、

きっと私は後悔するよね?じゃあ、生きている今やれることあるよね?

と自分に言い聞かせて、やったほうがいいことの中で自分のやれることを探してます。

子育てって、自分の嫌なところと真正面から向き合うことだなとつくづく思います。思わされます。

まとめ

まぁ、いろいろ書きましたが、結局のところ考えすぎてるんでしょうね。だけど、そうしてなんとかやってます。人と比べてもどうしようもないので比べません。比べたら、もっと楽な家庭はあるし、もっとつらい思いをしている家庭もあるだろうし。そもそも同じ人間は一人も存在しないので、比べてもしょうがないんです。

最後に、小学校のスタンスを書いておきます。

学校の先生(担任・教頭など)は、来てくれればいいというスタンスですね。時間通りにきて!遅刻ダメ!とは言われたことないです。休まれる・登校拒否になるよりは遅刻してでも来てくれればOKという雰囲気です。いやぁ、学校の先生も大変だなと思います。毎朝頭が下がりますし、ありがたいなと思っています。

今の、この環境に感謝をしつつ、今日もやっていきます!うん!頑張らないけどやる!

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